東京地方裁判所 平成11年(ワ)1240号 判決 2000年11月21日
原告
伊東憲一
右訴訟代理人弁護士
佐藤秀夫
同
一木明
被告
東京海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役
河野俊二
右訴訟代理人弁護士
徳田修作
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
第一 請求
被告は、原告に対し、金三七〇九万三三九一円及びこれに対する平成一一年一月二八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、訴外会社の被告に対する保険金請求債権の差押命令により取立権を取得したとして、原告が被告に対し右保険金の一部の支払いを求めたところ、被告が、右保険金請求権が存在しないとしてこれを争った事案である。
一 争いのない事実
1 被告は、損害保険事業を営む株式会社である。
2 訴外A産業有限会社(以下「A」という。)は、平成六年一〇月一三日、被告との間で、次のとおり火災保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(一) 証券番号 五一七八三五六四三〇―〇
(二) 保険者 被告
(三) 被保険者 A
(四) 保険の目的の建物 別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)
(五) 保険期間 平成六年一〇月一三日から平成七年一〇月一三日まで
(六) 保険金額 七〇〇〇万円
3 本件建物は、平成六年一一月二日、火災(以下「本件火災」という。)により全焼した。
4 浦和地方裁判所は、平成八年一〇月九日、債権者を原告、債務者をA、第三債務者を被告とする平成八年(ル)第一九九五号債権差押命令申立事件につき、本件保険契約に基づく保険金請求権(以下「保険金請求権」という。)のうちの金二三二〇万四七九四円について差押命令を発し、同命令は、被告に対しては同月一四日に、Aに対しては同月一六日にそれぞれ送達された。
同裁判所は、平成一〇年一〇月、三〇日、債権者を原告、債務者をA、第三債務者を被告とする平成一〇年(ル)第二七九一号債権差押命令申立事件につき、本件保険金請求権のうち、前記差押命令により差し押さえられた二三二〇万四七九四円を除外した部分のうちの金一三八八万八五九七円について差押命令を発し、同命令は、被告に対しては同年一一月四日に、Aに対しては平成一一年一月一九日にそれぞれ送達された。
二 争点(保険金請求権の存否)に対する当事者の主張
1 原告の主張
(一) Aは、本件保険契約に基づき、本件火災の結果、被告に対する本件保険金請求権を取得した。
(二) 原告は、前記一の4記載の各差押命令に基づき、Aの被告に対する本件保険金請求権のうち、二三二〇万四七九四円及び同一三八八万八五九七円の計三七〇九万三三九一円について、取立権を取得した。
2 被告の主張
(一) 本件保険契約の被保険者であるAは、本件建物の所有者ではなく、被保険利益がないから、本件保険契約は無効である。
(二) 保険者免責
本件火災は、Aの実質的経営者である甲野太郎(以下「甲野」という。)又は同人と意を通じた関係者により放火されたことにより発生したものであるところ、本件保険契約は、火災保険普通保険約款(一般物件用)(以下「本件約款」という。)が適用される契約であり、本件約款第二条一項一号によれば、「保険契約者、被保険者またはこれらの者の法定代理人(保険契約者又は被保険者が法人であるときは、その理事、取締役または法人の業務を執行するその他の機関)の故意もしくは重大な過失または法令違反」によって生じた損害に対しては、保険金を支払わない旨が定められている(以下「本件免責条項」という)。
そして、本件建物への放火を指示した甲野は、本件保険金請求権の請求時にAの代表取締役の地位にあったから、本件免責条項における「取締役」にあたる。また、甲野は、Aの実質的経営者であるから、やはり右「取締役」にあたる。仮に、右「取締役」にあたらないとしても、本件免責条項中の「法人の業務を執行する機関」にあたる。
(三) 甲野は、Aの実質的経営者であるから、Aの被告に対する信義則違反により、被告は保険金支払義務を負わない。
(四) 本件保険契約は、保険金の不正取得を目的として、甲野が被告との間で締結したものであるから、公序良俗に違反して無効である。
(五) Aは、本件保険契約締結当時、本件火災発生を予期していたのであるから、商法六四二条の類推適用により、本件保険契約は無効である。
(六) 仮に、被告が保険金の支払義務を負うとしても、本件建物の建築費用を超過する金額については、超過保険であるから支払義務を負わない。
第三 争点に対する判断
一 前記第二の一で認定した事実及び証拠(乙一ないし九、一三の2、一五、二〇の2、二四、二五、二七の1ないし5、7、9ないし15、二八、三〇の1、2、三二、三三の1、2、三五ないし四一、四四ないし五二、証人池田一光)並びに弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認められる。
1 本件建物は、平成三年一一月二二日、田中誠一名義で所有権保存登記手続がなされ、右登記手続より以前の同月二〇日売買を原因として、同年一二月一〇日、株式会社ユアーズに所有権移転登記手続がなされた。同社は、平成三年一一月七日に株式会社B(以下「B」という。)に商号変更され、平成四年三月五日、同月一日売買を原因として、BからC建設株式会社(以下「C建設」という。)に本件建物の所有権移転登記手続がなされた。
平成五年一二月二日、本件建物につき、同月一日売買を原因として、権利者を冨永健治(以下「冨永」という。)とする所有権移転仮登記手続がなされたが、平成六年八月三日、右仮登記の抹消手続がなされた。平成六年八月三日、同年七月二六日売買を原因として、C建設からAに対し本件建物の所有権移転登記手続がなされた。
2 Aは、平成五年一一月二六日、埼玉県北足立郡伊奈町寿<番地略>を本店として、A産業有限会社の商号で設立され、平成六年一月一九日、本店を埼玉県桶川市大字上日出谷<番地略>に移転手続された。平成七年三月二二日と各変更手続された。
Aの代表者である取締役は、設立時は冨永であったが、その後、同人の辞任登記手続の上、井上まりが取締役に就任した。平成一一年四月九日には、甲野が取締役に就任した旨の登記がなされ、平成一二年二月二一日には、甲野の元妻である乙川奈緒美(以下、甲野奈緒美の時期も含めて「奈緒美」という。)が取締役に就任した旨の登記がなされている。
冨永は、大東京火災海上保険株式会社(以下「大東京火災海上保険」という。)の保険代理店をしていたが、その後、行方不明となった。なお、甲野も保険業務に携わっていた時期があった。
3 C建設は、後にD株式会社に商号変更の後、D有限会社に組織変更された(以下、併せて「D」という。)が、原告を田中誠一の妻とし、被告をDらとする事件(以下「別件」という。)の判決書において、その代表取締役が奈緒美の弟である乙川一郎(以下「一郎」という。)と、本店所在地が埼玉県上尾市井戸木<番地略>(現在のAの本店所在地に同じ。)と表示されている。
4 Bは、別件の判決書において、その代表取締役が甲野と、本店所在地が埼玉県上尾市井戸木<番地略>(現在のAの本店所在地に同じ。)と表示されている。なお、Aの宅地建物取引業の免許申請書の添付書類では、右所在地のAの事務所は、Bからの賃借物件である旨が記載されている。
5 Aは、大東京火災海上保険との間で、平成六年八月二五日、保険金額七〇〇〇万円、期間三か月の火災保険契約を締結していた。
しかし、Aの経理担当者である西原佳子(以下「西原」という。)は、右契約を解約して被告との間で火災保険契約を締結するようにとの甲野の指示により、同年一〇月一三日、大東京火災海上保険との間の右契約の解約手続を行った。
6 平成六年一〇月一三日、本件保険契約が締結された。右契約締結にあたっては、当時、Aの本店所在地であった埼玉県桶川市大字上日出谷<番地略>の事務所で手続がなされ、担当者の西原が、甲野から印鑑や保険料を預った上で契約手続を行った。
7 西原は、平成四年ころから甲野の下で働いており、A、B、D、有限会社E(以下「E」という。)、F有限会社(以下「F」という。)の各経理を担当していた。Eは、平成九年三月五日に甲野が代表取締役に就任し、平成一〇年三月一五日、本店所在地を埼玉県上尾市春日<番地略>に移転した。Fは、平成八年五月二〇日、本店所在地をEと同じ埼玉県上尾市春日<番地略>に移転し、平成一一年三月五日、奈緒美が代表者である取締役に就任したが、同年四月一日に解散の上、甲野が清算人に就任した。
Aを含む右五つの会社の事務所は同じ場所にあったことが多く、場所が変わることもあったが、移転手続によりどの会社に電話をしても同じ電話につながる仕組みになっていた。これらの会社は、主に宅建業やダイヤルQ2等の仕事をしていたが、平成六年ころ以降はいずれも事実上の休眠状態であった。
なお、別件の審理の当時、甲野は、自らの住所を「A有限会社内」と表記しており、その尋問中でも自らの住所とAの本店所在地が同じであることを認めていた。
8 平成六年一一月二日、本件火災が発生した。その際、警察から甲野のもとに電話連絡があった。
火災現場からは、宮城県仙台市在住の丙山二郎(以下「丙山」という。)が焼死体で発見されたが、丙山は室内であるにもかかわらず靴をはいたままであった。
小山消防署間々田分署により作成された火災原因判定書では、出火場所にわら(畳床)が置かれ、灯油臭のする多量の油成分が検出されたこと、丙山の焼死体のすぐ近くにライター及びマッチが発見されたこと、出火箇所は数箇所あるがいずれも出火時刻が同時刻ころと推測されていること、出火原因としてガス器具及び電気的原因による可能性は認められないとされていること等が記載されている。
また、平成六年一二月五日付けで、被告に提出された鑑定書でも、出火箇所が少なくとも二か所あること、これらの燃焼状況が激しく、木部等に燻焼出火の状態がみられないこと等から、油類を撒布した接炎出火の可能性が大きい旨が記載されている。
9 一郎(昭和四四年生)と丙山とは、一郎が一七歳のころからの知り合いであった。一郎は、平成五年にBに入社するまでは、宮城県仙台市で生活していた。
10 平成六年一二月五日付けで、A(代表者冨永名義)から被告に対し火災保険金の請求がなされたが、被告は、同月二〇日付けで、調査中である旨を回答した。平成一〇年一〇月一三日付けで、A(代表者井上まり名義)から再度火災保険金の請求があったが、被告は保険金請求権の差押えを理由に支払いを拒否した。
11 平成六年一二月二九日付けで、奈緒美の母である乙川和子(以下「和子」という。)のAに対する四〇〇〇万円の金銭消費貸借契約証書が存在するが、右証書では、当時のAの代表者であった冨永のほか、甲野がその連帯保証人となっていた。
和子は、そのころ、甲野から本件保険契約の保険証券を預っており、平成一一年二月一二日、被告の依頼した株式会社信調社の取締役池田一光(以下「池田」という。)と面談した際に、右保険証券を池田に提出した。同社は、損害保険及び生命保険のいわゆるモラルリスクを中心とした調査業務を行っている。
池田は、同日、和子のほか奈緒美と面談し、同月二〇日、奈緒美及び一郎と面談し、同月二四日、奈緒美及び西原と面談した。
12 甲野は、奈緒美、一郎、和子、和子の姉、和子の友人、奈緒美の友人等に借入れをさせたり担保提供を受ける等して、平成六年ころは資金繰りに窮していた。
また、甲野は、もともとは加藤姓であったが、婚姻により栗原姓を経て甲野姓となっていた。
13 前記第二の一の4の各差押命令のほか、平成八年八月一日付けで、差押債権者を大永(代表者は奈緒美)とする、本件保険金請求権のうち六〇〇〇万円についての債権差押命令が出され、同年九月一二日付けで、差押債権者をE(代表者は一郎)とする、本件保険金請求権のうち四〇〇〇万円についての債権差押命令が出されている。
14 平成一一年四月九日、甲野は、殺人未遂及び詐欺の疑いで逮捕されたが、その容疑は、知人の女性に掛けた三億四〇〇〇万円の保険金をだまし取るため、交通事故を偽装し、重傷を負った女性の入院保険金約一二〇〇万円をだまし取ったというものであった。当時、甲野には消費者金融に約一〇〇〇万円の借金があるとの新聞報道がなされた。
15 平成一一年六月四日、甲野は、殺人未遂及び詐欺の疑いで逮捕されたが、その容疑は、妻子や義母らを交通事故に見せかけて殺害し保険金をだまし取ることを企て、重傷を負った家族らの入院保険金等約二〇〇〇万円をだまし取ったというものであった。
16 平成一一年七月五日、甲野は、中小企業安定化特別保証制度を悪用して二〇〇〇万円の不正融資を受けたとして、詐欺の疑いで逮捕され、同年九月八日、追送検された。
17 平成一一年一〇月三〇日ころ、甲野は、公共工事現場での自損事故を交通事故に見せかけて約二八五万円の保険金をだまし取った容疑で逮捕された。
18 平成一二年三月一二日、池田は、一郎に電話連絡の上、もう一度事情を聞かせてほしい旨を依頼した。池田は、当初、一郎との面談を希望したが、一郎から、別事件で執行猶予中の身でありこの件には関わりたくないとして、約束を取り付けられなかったため、電話による事情聴取となった。
その際、一郎は、池田に対し、もう知っているんだろうという趣旨の発言をした上、本件火災発生の四、五か月前に、Aの事務所において甲野から本件建物への放火を指示されたこと、その後、一郎が宮城県仙台市に赴いて、友人である丙山に放火を依頼したこと、その後の経緯は知らないことを説明した。
これに対し、池田が、一郎に対し、電話聴取の内容を書面にして送付するので署名捺印して返送してほしい旨を依頼したところ、一郎は、弁護士に一任する旨を連絡してきたが、最終的には協力が得られなかった。
19 本件保険契約の保険証券には、本件保険契約に、前記第二の二の2の(二)記載の本件約款が適用される旨が記載されている。
二1 前記一で認定した事実によれば、室内で発見された丙山が靴をはいたままであり、すぐ近くにライター及びマッチが発見されたこと、出火箇所は複数あるのに同時刻ころ出火した可能性が高いこと、出火箇所から灯油臭のする多量の油成分が検出され、激しく燃焼していること、ガス器具及び電気的原因による出火の可能性がないこと等が認められ、これらの事実によれば、丙山が本件建物に放火をした上、逃げ遅れて焼死したものと推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
また、前記一で認定した事実によれば、一郎が、一回目の池田との面接の際には詳細を話さなかったものの、二回目の電話連絡の際には、既に池田が事実を把握しているものと誤信して、本件火災発生の四、五か月前にAの事務所において甲野から本件建物への放火を指示されたこと及びその後丙山に放火を依頼したこと等を話したこと、しかし、一郎は別事件で執行猶予中であることもあって、右聴取結果の書面化には協力しなかったこと、本件建物は、B、C建設を経てA名義となっていたが、三社とも実質的には甲野の経営する会社であったこと、このほかE及び大永も実質上甲野の経営する会社であったが、これらの会社は平成六年ころ以降はいずれも事実上の休眠状態であったこと、甲野は、妻であった奈緒美の弟、母、親族、友人等広範囲にわたり借入れを受ける等して、本件火災当時、資金繰りに窮していたとみられること、Aと和子との間の四〇〇〇万円の金銭消費貸借契約証書が取り交わされたころ、連帯保証人となっていた甲野が、和子に対し、本件保険契約の保険証券を交付していたこと、西原は、甲野の指示により、大東京火災海上保険との間の火災保険契約を解約して、被告との間で保険金額七〇〇〇万円の本件保険契約締結の手続を担当したこと、その際、西原は甲野から印鑑や保険料を預って手続をしたこと、甲野は、保険金をだまし取るために交通事故等を偽装したとして、少なくとも四件の逮捕歴があること等が認められ、これらの事実を総合すると、甲野が本件建物への放火を一郎に指示し、一郎がこれを丙山に指示したものと推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 そして、これまでに認定した事実全てを総合して検討すると、甲野がAの代表者である取締役に就任したのは平成一一年四月九日であって、本件保険契約締結当時の取締役は冨永であったものの、Aを含む各社の実態、本件保険契約締結の経緯等によれば、Aの実質上の代表者は甲野であったものと認めるのが相当である。
3 以上を前提として検討すると、まず、甲野は本件保険契約の被保険者であるAの実質上の代表者であると言えるから、既に認定したとおり、本件保険契約に適用される本件約款の本件免責条項に照らして検討すると、甲野は、有限会社であるAの代表者「取締役」に類する者であるということができ、少なくともAの「業務を執行するその他の機関」であったと認めることができる。そして、既に認定したとおり、本件火災は甲野が指示したものと推認できるから、Aの業務執行機関である甲野の故意により生じた損害であるということができる。
したがって、本件保険契約には本件免責条項の適用があるものと認められるから、保険者である被告は免責され、被保険者であるAに対する保険金支払義務を負わない。
4 以上より、Aの被告に対する本件保険金請求権が存在すると認めるに足りないから、原告による差押えの対象となる債権が存在しないというべきである。
三 よって、原告の請求は理由がない。
(裁判官・釜井裕子)
別紙物件目録<省略>